そっと場に本音を置くということ 〜支援の現場で感じたこと〜
支援の現場には、
いろいろな人の思いが静かに流れています。
制度や仕組みだけでは語りきれない、
ひとりひとりの願いや不安、迷い、誇り…。
そんな気持ちの折り重なりが、
その場所の“空気”をつくっているのだと、
私は思うのです。
先日、ある研修に参加しました。
専門職の方が現場で大切にしていることや、
支援のあり方について話してくださる、
学びの多い時間でした。
けれど、そのなかでふと、
心に静かな違和感が生まれた瞬間がありました。
「毛色が違う」というひとこと
講師の方が
「リワーク支援の利用者と、
就職準備プログラムの利用者は“毛色が違う”」
と話された場面でした。
おそらく、意図としては
「それぞれに違う背景やニーズがある」という
説明だったのだと思います。
でも、その言葉を耳にしたとき、
私はなぜか胸がきゅっと苦しくなりました。
“人と人のあいだに線を引くような感覚”
“どちらが上でどちらが下、という
見えないものさしが差し出されたようなさびしさ”
そんなものを感じてしまったのです。
自分の「ひかかり」と向き合う
支援の現場には
いろいろな立場や役割があるけれど、
“苦しみ”や“頑張り”に大きさの違いなんて
本当はないはず。
その人がどんな職場で、
どんな役割についていても、
「ここまでよく生きてきたね」と
ただ、まるごと受けとめられる場所でありたい。
そう願っている自分がいるからこそ、
その「毛色が違う」という表現が
とても悲しく、寂しく思えたのかもしれません。
そっと本音を場に置く
研修の終わりに
参加者が一人ずつ感想を話す時間がありました。
私は少し迷いながらも、
自分の中に生まれた違和感を
そっと言葉にしてみることにしました。
「今日の講義で、“毛色が違う”という表現が
心に引っかかりました。
どんな背景があっても、
人としての苦しさや葛藤に
優劣はないと私は感じています。
説明の意図は分かりますが、
言葉の響きに少しだけ寂しさを感じました。」
そうやって、
ただ“私が感じたこと”をそのまま置いてきました。
本音が波紋のように広がる
私が違和感を言葉にしたあと、
既に感想を話し終えた方が
「自分も実は…」と、
胸の内をそっと明かしてくださいました。
「利用者を“お客様”と呼ぶことに、
自分は少し引っかかりを感じていました」と。
その方は、「それがセンター全体の方針なのかどうか、
説明してほしい」と穏やかに尋ねていました。
誰かが勇気を出して本音を出すと、
それが静かな波紋のように広がっていく——
そんな温かい空気をその場で感じました。
ありがとうを伝える帰り道
研修が終わり、帰り際に
主催者の方から「大変言いにくい貴重なご意見を
ありがとうございました」と丁寧な言葉をかけていただきました。
私は「素直に感じたことをお伝えしただけです。
一日ありがとうございました」とお返しして
会場を後にしました。
誰かを否定したいわけじゃない。
ただ「私はこう感じました」と
自分の本音を、そっとその場に置いて帰る。
それが、現場の空気を
ほんの少しだけ温かく、優しくできる
ひとつの方法だと信じています。
“違和感”も、そのまま大切に
支援の現場で働いていると、
どうしても「正しさ」や「正解」に
縛られてしまいがちです。
けれど、
「何かが違う」「少し悲しい」
そんな小さな違和感も、
無理に飲み込まずに
やさしく抱きしめてあげること。
それも支援の一部なのだと
私は思うのです。
これからも、そっと本音を
私はこれからも、
誰かを責めたり、押し付けたりすることなく、
“自分の心に生まれた本音”を
そっと場に置いていきたいと思います。
それが、
誰かが安心して自分の思いを話せるきっかけになったり、
違和感を優しく手渡し合える文化につながったり、
現場に小さなぬくもりを灯していくことを、
私は心から願っています。
違和感も、寂しさも、
本音も、勇気も、
まるごと包み込んで
今日もまた、支援の現場を歩いていきます。