「偏見を持ってはいけない」は本当? 自分を否定せず人間関係を深める方法
はじめに
「偏見はいけないこと」「差別はしてはいけない」
私たちは小さなころからそう教えられてきました。
確かに社会的には正しいことですし、人権を尊重するために欠かせない価値観です。
けれども、その一方で心の奥にこうした思いが湧くことはないでしょうか。
- 「正直、面倒だな」
- 「ちょっと距離をとりたい」
- 「関わると厄介になりそう」
こうした感情が芽生えた瞬間に、
「自分は偏見を持ってしまった」と罪悪感を抱いたり、
「そんなことを思っちゃいけない」と
自分を否定してしまう人は少なくありません。
でも、本当にそれは「悪いこと」なのでしょうか。
偏見は“あって当たり前”の感情
まず強調したいのは、
偏見や嫌悪感は「誰にでも自然に湧く」ものだということです。
私たちは生まれてから今まで、
家庭、学校、社会の中で無数の価値観や常識を学び、
刷り込まれてきました。
その積み重ねが「無意識の思い込み」となり、
目の前の人を瞬時に評価しようとします。
たとえば、
- 大きな声で話す人を見て「怖そう」と思う
- 障害があると聞いて「仕事は難しいのでは」と感じる
- 異なる文化背景を持つ人に「分かり合えないかも」と不安になる
これらは一瞬で脳が働かせる「自動思考」であり、
人間の自然な認知の仕組みです。
つまり、
偏見や差別心は「自分が悪い人間だから」生まれるのではなく、
人間として当たり前の心の働きなのです。
偏見を否定すると生まれる“二重の苦しみ”
「そんな風に思っちゃいけない」と感情を押し殺すと、どうなるでしょうか。
心の奥では確かに「面倒だな」という気持ちがあるのに、
それを否定すると、次のような二重の苦しみが生まれます。
- 湧いた感情を否定する苦しみ
「私はなんて心の狭い人間なんだろう」と自分を責める。 - 表に出てしまう態度の苦しみ
抑え込んだはずの苛立ちや嫌悪感が、目線や言葉の端々ににじみ出て、
相手を傷つけてしまう。
結果として
「自分も苦しいし、相手も傷つく」という悪循環が生まれます。
だからこそ私は強く思います。
偏見や嫌悪感は「ないことにしてはいけない」。
まずは「そう思った」と認めることが、むしろ人間関係を守る第一歩なのです。
専門職であっても偏見は湧く
私は精神保健やカウンセリングに携わる専門職ですが、それでも正直に言います。
相談者の話を聞きながら
「面倒だな」「どうしてこんなに同じことを繰り返すんだろう」と
イラッとすることがあります。
「また同じ相談か」と心がざわつくこともあります。
これは恥ずかしいことでも隠すべきことでもありません。
専門職であっても、いや、人間である以上、偏見や苛立ちは必ず湧くのです。
大切なのは、その感情を否定することではなく、
「湧いた自分」を自分自身が受け止めること。
「私は今、面倒だと感じているんだな」と認める。
そこからが本当の支援のスタートなのです。
【相談内容】職場での偏見に揺れる上司
ここで、実際にあった相談の一部をご紹介します。
ある会社で精神疾患を抱える社員がいました。
欠勤が多く、周囲の業務に影響が出ていました。
上司はこう語りました。
「正直、面倒だなと思ってしまうんです。周りの社員からも不満が出ていますし、どう関わればいいのか分からない。頭では“偏見を持っちゃいけない”と分かっているのに、気持ちがついていきません」
この言葉に、私はとても人間らしい誠実さを感じました。
なぜなら「面倒だ」という気持ちを隠さずに認めているからです。
そして、そこから「どう行動を選ぶか」を一緒に考えることができます。
もしこの上司が「偏見なんてありません」と言い張っていたら、
現場の問題は解決しなかったでしょう。
偏見を「扱える」ことが成熟の証
ここで整理してみましょう。
- 偏見は誰にでも自然に湧く
- 否定すると二重の苦しみを生む
- 認めることで、初めて行動を選べる
つまり、偏見を「なくす」必要はないのです。
むしろ「偏見を抱いた自分を認められるかどうか」が、
人としての成熟度を示すのです。
社会で理想とされるのは「差別のない人間」ですが、現実には存在しません。
存在するのは、「偏見を抱いても、それを自覚し、扱える人」です。
偏見を認めることの効用
偏見を認めることには、実は大きな効用があります。
- 自分が楽になる
感情を否定しなくなることで、自己否定から解放される。 - 相手に誠実でいられる
湧いた感情に振り回されることなく、落ち着いて関わることができる。 - 人間関係が深まる
自分の感情を正直に扱える人は、相手の感情も尊重できるようになる。
こうした効果は、
特に職場や家庭の人間関係において大きな意味を持ちます。
読者への問いかけ
あなたに問いかけます。
- 「正直、面倒だ」と思ったことはありませんか?
- その気持ちを「持ってはいけない」と押さえ込んでいませんか?
- もし「そう思った」と認めるだけで心が軽くなるとしたら、どうでしょうか?
偏見を抱いた自分を否定しないこと。
それは、人を思いやるための第一歩です。
まとめ
「偏見を持ってはいけない」と私たちは思い込みがちです。
けれども偏見は人間である以上、自然に湧くもの。
大事なのはそれを否定することではなく、「そう感じた」と認めること。
そこから初めて、「ではどう行動するか」を選べるようになります。
偏見を抱かない人になる必要はありません。
偏見を抱いても、それを扱える人になること。
それが、成熟した人間関係を築くための力だと私は信じています。

